仏教はプラス思考!?穏やかに生きる仏教の智慧「正見」とは?

      2018/10/30

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「正見」

 

人生を、よりよく生きる考え方の一つとして「プラス思考」は、大切なことで私も心がけています。では、仏教は「プラス思考」なのか!?それについて、仏のさとりを求める道に「八正道(はっしょうどう)」が教えられています。その第一に「正見(しょうけん)」があげられ、「正しく見る」、ありのままに見ることが正見です。

「正」という字は、「一」(ひとつ)に「止」(とまる)と書くように、正しいものは、たった一つということ。コナンくんに言わせれば「真実はいつも一つ!」となるでしょうか(^o^)私の目の前にあらわれる事象、現象、出来事のありのままのすがたは、たった一つ。それに対する見方、考え方、思いの持ち方は、千差万別、いろいろあるということです。

コップのたとえ

 

ちょっと説明口調になってしまったので、一例をあげると、コップに水が半分入っています、それを見た時に、いろいろ思います。

(1)水が半分しか入っていないじゃないか!

(2)水が半分も入っているぞ!

(3)誰かが私のために水を半分、残してくれたんだ!

(1)から(3)で「正見」は、どれでしょうか?

「ありのままに見る」のが「正見」ですから、(1)から(3)は、いずれも「正見」ではありませんね。ちょっとひっかけ問題でしたが、「正見」は、「コップに水が半分入っている」ただ、これだけです。(1)は、半分しか入っていない!と文句を言っています。(2)は、半分も入っていて、ラッキー!と思っています。(3)は、誰かが私のために、半分残してくれたんだ!と感謝までしています。超プラス思考なら(3)が答えとなるでしょう。

コップのたとえなら、分かりやすいと思いますが、自分の身の上に起きた出来事、事象について、自分の思いを一切入れずに「ありのままに見る」ことは、とても難しいです。

 

アイスのたとえ

 

学校から帰って、カップアイスを食べようと思って冷凍庫をみたら、半分食べられていました。これは事件です!

(1)半分、誰が食べたんだ!妹に違いない(プンプン)

(2)半分は、残してくれたんだ。全部食べられなくてよかった(ホッとする)

(3)いつもなら全部食べてしまう妹が、私のために半分残してくれるまで、成長し、優しくなったんだなあ(妹の成長を祝福する)

私なら、間違いなく(1)ですね(苦笑)。正見は、「アイスが半分ある」ただ、それだけです。一喜一憂することなく、心は穏やかです。「自分が食べるためのアイス」という時点で、「思い」が入っていますから、正見は、無理ですね(結論)

しかも、思いが強ければ強いほど、「思い」が「重い」と言われるように、思い通りにならなかった時、ネチネチ文句を言いだして面倒くさい人になってしまいます。自分の思いを一切入れないことは、煩悩一杯(欲や怒りや愚痴の心一杯)の私達には、到底できないことでしょうから、何か思ってしまうなら(1)から(3)のどんな思いをもてば、人生をよりよく生きていけるかを考えたいですね。

 

最後に

 

これは仏教の深い教えになりますが、「正見」が教えられている仏教を求め抜かれた親鸞聖人が、「衆禍の波 転ず」と言われています。「衆禍(しゅうか)の波」とは、自分に降りかかるいろいろの不幸や災難、逆境のことで、それが「転」ずると言われています。

仏教は、「転」の哲学、「即」の哲学と言われることもあり、「転」「即」とは、「その時、その場で(時をへだてず、所をかえず)」ということです。「衆禍の波」が、「来なくなった」とか「無くなった」と言われているのではなく、「衆禍の波(苦しみ)」は、やってきますが「転悪成善」(悪が転じて善と成る)と「善(喜び)」に転じてしまうと言われています。これは、究極のことなので、一旦、ここで区切りをつけたいと思います。

 

 
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