仏教/「お盆」は先祖供養をする日?本来の「お盆」の意味がよく分かる!(続き)

      2018/08/14

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お盆の本題に入る前に、前回は仕事に行く時間になってしまいましたが、もう少し、前置きをして本題に入りたいと思いますので、もうちょっとお付き合い下さい!

※前回の記事はこちら「仏教・お盆について」

寺に生まれながら、葬式、法事が寺のメインの仕事で、亡くなった人の供養をするのが、仏教と思っていた私でしたが、仏教を説かれたお釈迦様は、こんなエピソードで死者の供養を教えたのが仏教ではないことを示されていると知り、仏教観が大変わりしました。

そのエピソードとは、ある時、お釈迦様のお弟子が尋ねました。「世間では、長いお経を読めば、地獄に堕ちているものでも、極楽に浮かぶと言うものがありますが、本当でしょうか?」その時、お釈迦様は、すぐにはお答えにならず、近くの池まで行かれて、石を池に投げ入れられました。「そなたたちよ、この池のまわりを『石よ浮かびあがれ』と言いながらまわれば、石が浮かんでくると思うか」「そんなことは、ありません」「そうであろう。石は石自身の重さで沈んでいったのだ。どんなに『浮かび上がれ』と言ったところで、石が浮かんでくることはない。それと同じように、人は、自業自得、それまでの己の行いによって、次の世界に沈んでいくのだ」と仰ったのです。

この世のことで考えても、罪を犯して刑務所に入っている身内を何とか助けたいと思って、差し入れや手紙を書いたりすることはできますが、刑務所から出すことはできませんね。本人が、罪を悔い改めて更正するしか刑務所から出る方法はありません。

仏教では六道が教えられていて、次の生の報いが、たとえば苦しみの世界、地獄や餓鬼や畜生といった世界に堕ちたとすると、どんなに盛大に葬式をしたり、長い戒名をつけたり、立派な墓を建てたりしても、それで苦しみの世界から救われて、極楽へいけるようなことは絶対にないとお釈迦様は教えられています。

それでは、「葬式や法事は何のためにするのだろう?」と思われませんか。本来の意味を知った時、私はひっくり返りそうになりました(オーバーですね^^;)

葬式や法事は、亡くなった人のためではなく、生きている私達のためになされるべきものなんです。生きている私達のためとは?前回の記事で少しふれたように、お釈迦様は、私達が幸せになる道を教えていかれました。そのご説法の記録が、経典となって残されていますから、僧侶は、その経典に教えられていることを、みなさんに分かるようにお伝えすることがメインの仕事なんですね。

普段は、仕事や目の前のことで忙しく、法話を聞きにいく機会は無いに等しい私達です。亡くなった方をご縁として、親類、縁者が多く集まる葬儀や法事で、僧侶から、生老病死の問題を解決して、まことの幸せになる仏の教えを聞くご縁にすることが、本来の葬儀や法事をつとめる意義なんですね。

ですから、せっかくの葬儀で法話をしない僧侶は、ニセモノの僧侶ということで、姿は、衣をきて数珠を持っていて僧侶に似ていますが、似ている(ニセモノ)だけでホンモノではないんです。本格的に仏教のイロハから学び始めて、今の寺の現状が、葬式仏教、法事仏教となって、あたかも亡くなった人のための仏教だと多くの人が誤解している残念なことになっていることを知らされました。それからは、葬儀や法事、お盆参りをはじめ、仏事をつとめるときには、必ず法話をして、本来、仏教は、生きている私達が聞き求める教えなんですよ、とお伝えしています。

かなり前置きが長くなりましたが、上記をふまえた上で、お盆の由来について。「盂蘭盆経」というお経に、お釈迦様のお弟子で神通力第一の目連尊者が、亡き母親が餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを助けたいと願ったが、自分の力では助けることができず、お釈迦様に尋ねます。「三宝(仏宝・法宝・僧宝)への供養の功徳によって母を救うことができるだろう」とお釈迦様から教えを受け、百味の飮食五菓などを三宝供養したところ、母親が天上界に救われ、目連尊者は大変喜んだ、とあります。

中国の孝の教え(親孝行・先祖供養)に基づいて、中国にお釈迦様の教えを浸透させるために編纂されたと言われる代表的なお経の一つが盂蘭盆経と言われています。個人的には、布施や三宝供養の功徳の素晴らしさを教えられたものと受け取っています。仏教で、供養と言われるのは、先祖への供養ではなく、三宝への供養です。

※「三宝」・・・・「仏宝」仏のさとりをひらかれた方。「法宝」仏の教え。「僧宝」仏の教えを伝える人。

私達の力で、亡くなった人を助けることはできない、と一貫してお釈迦様は教えられています。科学や医学の力をもってしても、死にゆく人を助けられませんし、まして、死んだあと、医学や科学でその人を助けることは、もちろんできませんね。では、亡くなった人は、苦しみの世界から救われることはないのか?

これについては、仏教を幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と学びが深まっていくことにたとえると、高校ぐらいにならないと分かって頂けないと思いますが、「仏の慈悲は苦しむものにひとえに重くかかる」と教えられ、苦しんでいるものを何とか助けてやりたいと力を尽くされているのが仏さまです。仏さまのお導きによって、たとえどんなに時間がかかろうとも救われることがある。そして、結論だけになりますが、それは今の私の身の上の起きていることでもあるんですね。(これは、すぐには分かって頂けないと思いますが・・・)

仏教について、今までお話してきたことを、追々アップしていきたいと思います。

参考文献

 - 一言説法, 仏教

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