仏教/難病を克服する奇跡の仕組みを解明するヒントになる「笑いの治療」(NK細胞)

      2018/10/05

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「仏教は奇跡を教えていますか?」

 

ブラジルで約1年、首都ブラジリアやサンパウロなどでお話ししていた時に、よく質問されたことの一つです。

※ポルトゲスが公用語ですが、もちろん話せませんので(^^;)日本語の分かる日系の方にお話ししたり、通訳してくれる人がいました。

※余談ですが、ブラジルというとアマゾンのイメージがあって、秘境の地に行くみたいに思われながら日本を出発しましたが、住んでいたサンパウロの中心部は、福岡以上、東京並みに大都会でした。高層ビルといい、地下鉄といい、人の多さといい圧倒されました。ブラジルは日本の国土の約23倍で、サンパウロ州だけで日本の広さに匹敵します。

そんなブラジルで「仏教は奇跡を教えていますか?」とよく聞かれた背景には、キリスト教の影響があります。キリスト教にもいろいろあって、特に多くの人を集めていたキリスト教は、「奇跡」を謳っている傾向がありました。ここでいう「奇跡」とは、医者から見放された難病が、キリスト教を信仰することにより、神の愛によって奇跡的に治ったというものです。

絶対に治らないと言われていた難病が治ったという人があれば、その教会にたくさんの人が集まります。その中から同じように難病を克服した人があらわれて、さらに多くの人が集まってきます。当然、教会への献金もそれだけ多く集まります。(聞いた話では、収入の1割を献金するそうです)

「難病が治った」というのは、ウソではなく本当に治ったところに説得力があります。病を克服した体験談を大々的に語り、神の愛に感泣します。そんな奇跡がキリスト教の教義のようにブラジルでは広く浸透していて、それで「仏教は、奇跡を教えていますか?」と聞かれるのだと分かってきました。

「仏教は、自業自得(自因自果ともいう)、自分にあらわれる結果の原因は100%自分にあると教えていますから、神の愛によって病が治るという奇跡のようなことは教えていませんよ」と答えてはいたのですが、相手の人は「納得できないなあ。だって、実際に、教会で信仰をするようになってから病気が奇跡的に治ったのだから、神の愛(神の力)によるものとしか思えない」ということでした。

病気が治ったという「結果」の「原因」は「神の愛(神のちから)」にあるのではなく、自分に原因があることを何か具体例をあげて示せれば納得してもらえるかもしれない、と思い調べていると興味深いものが見つかりました。

 

笑いの治療

 

あるガンセンターで「笑いの治療」を取り入れているという記事でした。笑うことによって免疫細胞であるNK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化してがん細胞への攻撃力を高め、癌治療の効果が期待できるというものでした。最近では、テレビでもNK細胞が取り上げられることが増えてきましたが、ブラジルにいた10年以上前は、聞いたことがありませんでした(少なくても私は・・・)

がんセンターに入院する患者さんは、日々、何か特別なことでもなければ「笑う」ことは無いそうです。(考えてみれば、私達の日常もそうかもしれませんね・・・)そんな日常の中に「笑いの治療」として、漫才をする人や落語家、面白い話をする人を招待して患者さんに積極的に笑ってもらう時間を設けるのだそうです。

「笑いの治療」の後、NK細胞を調べてみると、格段に活性化している。もちろん、放射線治療や薬物治療などが行われている上で笑いの治療も取り入れているのですが、何百人、何千人の患者さんの中には、癌が完治しなくても、退院できるまで治癒が進む人もあらわれます。何万人に一人ぐらいは、まさに奇跡的に癌が完治する場合もある。

「病を治すのは医者ではなく、患者さん自身なんですよ」と聞くことがありますが、何万人に一人でも奇跡的に癌が完治してしまう原因の一つとして「NK細胞の活性化」があげられそうだ、と思いました。しかも「笑い」がNK細胞の活性化のポイントになっています。

キリスト教の奇跡は神の愛によるものか?

 

医者から見放された難病が完治してしまう奇跡は、実際に起きているのですが、それは教会に集まってくる何万人、何十万人に一人というぐらいの確率です。治らない人が99.999%です。それでも、希望の光を求めて教会にたくさんの人は集まります。すると、二人目の奇跡が起きて、更に人があつまり、三人目の奇跡、四人目の奇跡が起きることになる。

ちょうど宝くじのように「あの売り場は当たる!」となったら長蛇の列ができ、たくさんの宝くじがその売場で売れますから、当然、二人目の当選者も出やすくなります。(ちなみに宝くじ1等の当選確率は、60キロの米俵から当たりの一粒を探し出すようなものと聞いたことがあります)

しかも教会の牧師は、医者よりも尊敬されていると言っていいほどブラジルでは信者から深く信じられています。医者は、治らないような病気を「治してみせます」とは言えませんね。治らなかった時に、責任を追求されてしまいます。ところが牧師は「私のような難病でも神は見捨てないでしょうか?」と尋ねる人に、「あなた以上の難病の人を神は見捨てず治してくだされたのです。もう大丈夫ですよ。やすらかな心で祈りなさい」(注:あくまで、私の想像です)と言えるんです。

治らなかったとしても責任を追求されませんし、されたとしても「祈り方が足りなかったから」といわれたらそれまでです。医者から「必ず治りますから、安心してください」といわれたら、どんなに心強いかを考えても、深く尊敬する牧師から「必ずあなたの病も治ります」と言われたら、医者から見放されて真っ暗だった心が一瞬で明るくなり、笑顔にもなり、毎日でも教会に祈りにくることが楽しくて仕方がなくなることでしょう。

これによってNk細胞の活性化は、最高潮に高まるかもしれません。しかも牧師の言葉を深く信じる人であればあるほど、心の中の希望の光は、消えること無く、輝き続けるでしょうから、心身ともに良くなっていくことでしょう。ある意味「信じる者は救われる」と言えますね。牧師の言葉をきっかけに、笑顔が絶えず、心が大変わりしたかのように明るくなり、難病が完治したとしたら、それは、その人自身に原因があるのであって、「神の力」で治ったのではない、と説明がつきそうです。

もし「神の力」に病気を治す力があるなら、何十万人という人が祈りにくれば、何十万人が全員が完治しないと理屈にあわないですし、「祈り方が足りない」というなら祈り方によって「その人自身に変化が起きるところ」に「原因」があるということです。

まとめ

 

上記のような話を「仏教は、奇跡を教えていますか?」という人に説明すると「仏教は、論理的な教えなんですね!」と納得してもらうことが多くなりました。

「笑いの治療」は興味深く、

・面白くて笑う(心底から大笑いする)

・面白くなくても笑う(あいそ笑いでもいいから大笑いする)

どちらの場合も同じように、NK細胞は活性化するそうです。癌になってから笑うのもいいでしょうけれど、癌になる前から、周りからはバカ笑いといわれるほど笑っていれば、免疫細胞が活性化して、万病の予防につながるかもしれませんね(^o^)よく言うじゃありませんか「バカは風邪を引かない」って!きっとバカ笑いする人のことを言ったんでしょうね。

 

 

 
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